こんにちは、S&Tの上村です。年明け早々連日大変な出来事ばかりですね。皆さんは大丈夫ですか?
地震は後から被害の実態がジワジワとわかってきて、やはり東日本大震災の時を思い出しましたね。
我が家でも異変が。いつもはそんなところに咲かないハイビスカスが実は気がつくと一輪咲いていたんです!!!😓
3mくらいの全長の真ん中くらいの枝のところにちょこんと咲いていました。ずっと我が家にいますがそんな場所に咲くのは初めてです。
ご存知の通りお天気が荒れる時は必ずと言っていいほど咲く我が家のハイビスカスですが、ついに地震まで予測するのか?
ともあれ、被災地の1日でも早い復興をお祈りしております。
そして昨日の羽田の飛行機事故。画面から目を離せずずっと見ていましたがとんでもない事故でしたね。海上保安庁の方達は残念でしたが、JALの乗客の皆さんがあれで無事だったのは本当に良かった。
海上保安庁の飛行機は物資を地震の被災地に届けるところだったそうですね。亡くなった皆さんのご冥福をお祈りします。🙏
今年はお正月どころじゃありませんね。波乱の幕開けの2024年は果たしてどんな年になるのか。
まもなく1月13日から『越後妻有2024 大地の芸術祭 冬』も開催予定となっていますがどうなっちゃうんでしょうね。
今年もたくさんのアートイベントが開催されます。いつものようにあれもこれも見たいところですが実際には全て見るのは不可能ですよね。今年も厳選して楽しんでいきましょうね。
と言うわけで本日の1品です。
May Stevensはマサチューセッツ州ドーチェスターで生まれ、ボストン近郊のマサチューセッツ州クインシーで労働者階級の家族に育てられました。結果的に彼女の作品は、彼女の社会に対する見方、彼女が彼女の周りで目撃した女性の貧困と機会の欠如の影響を受けました。ボストンとニューヨーク市で美術を学んだ後、彼女は1948年に仲間のアーティスト活動家ルドルフ・バラニクと結婚しました。
スティーブンスは最初から、芸術は個人的な表現だけでなく、社会的解説に使用されなければならないと信じていました。彼女の芸術は通常、政治活動家としての彼女の個人的な経験に関連しています。
彼女は公民権運動に従事し、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがカタログの紹介を書いたフリーダムライダーと呼ばれる1964年の展覧会につながりました。1967年から1976年までのスティーブンスのビッグダディシリーズは、ベトナム戦争に対する怒りの反応として作られました。これらの大きなポップアートスタイルの絵画は、彼女の最も有名な絵画の1つです。
フェミニスト芸術運動に触発されたスティーブンスは、女性アーティストの人生を個人やグループのポートレイトで称え、それを「オルタナティブ」な美術史とみなしている。。彼女はまた、1977年から92年まで出版された雑誌「Heresies: A Feminist Publication on Art and Politics」の設立を支援しました。
1981年のスティーブンスの息子の死は、彼女の作品の方向性を変えました。彼女の後の絵画は、痛烈な感覚が染み込んだ風景でした。
彼女はゲリラ・ガールの元祖であり、重要なフェミニスト出版物『Heresies』の創設メンバーでもあります。彼女の作品は、MoMA、ホイットニー、ブルックリン美術館、ハーバード美術館、ダートマス大学フッド美術館などに収蔵されています。 (1924–2019)
彼女の作品はすでにS&Tにはなくなっていますが、今年も何点か入荷したいなと思っています。もちろんお取り寄せもできますのでご興味ある方はぜひご連絡下さいね。
それでは皆さん本日も良い1日を。