こんにちは。S&Tの上村です。皆さん、フェアユースって知ってますか?
フェアユースとは、一定の条件を満たしていれば、著作権者から許可を得なくても、著作物を再利用できることを示した法原理です。 ただし、フェアユースが必ず認められるような魔法の合言葉はありません。 第三者が著作権を所有する作品を使用する際に、フェアユースとして保護される保証もありません。
このフェアユースに関して注目すべき審理が行われました。それがアンディ・ウォーホルの「プリンス・シリーズ」をめぐって、アンディ・ウォーホル美術財団と、ウォーホル作品の基となるプリンスの肖像写真を撮影した写真家リン・ゴールドスミスの間で争われている裁判の最高裁の審理です。
裁判の行方は表現の自由にも関わると考えられるため、各方面から注目されています。
詳細は長くなるので省きますが、何が問題かというとウォーホル財団のマルティネス弁護士の最終弁論が端的に表していると思います。
彼は『今回の判決は、大部数の雑誌(2016年のプリンス追悼号)の表紙を飾る機会を、ウォーホルの作品がゴールドスミスから不当に奪ったのかどうかを判断するだけのものではない。もし、ゴールドスミスにウォーホルのプリンス・シリーズの著作権を与えたらどうなるのか。同シリーズの作品、また同様に他人の著作物を引用した作品を所有する美術館、ギャラリー、コレクターが、それを展示したり販売したりすれば、著作権侵害の責任を負うことになってしまう。』と反論しています。
もしゴールドスミス側が勝利する判決が出たら戦後美術や現代アートの世界だけでなく、コンテンツを創造し再利用するための既存の法的枠組みの上に構築されたデジタルメディアやソーシャルメディアなど多くの領域に対して抑圧的に働くことになります。
かなり重要な判決になりそうです。一体どうなっちゃうことやら。判決の行方に注目です。
まもなく平野千明展『Modern allegorism Ⅱ』が開催されますがそんなフェアユースのことを考えながら見るともう一つ面白さが増すかもしれませんね。
Modern allegorism Ⅱ
会期)2022.11.3 – 11.13 13:00 – 18:00
場所)Y & Gallery 山形県米沢市中央3丁目10-23
『人間は他人を解釈する際に様々な脚色を加え、1人の人物にまつわるイメージを創造していきます。 すなわち、そこにはもともとの事実を切り崩し、新たに意味を与えていく工程があるのです。切り崩す・切り開くという行為は世界と人間の関係を物語るための行為でもあります。自然から都市、そして人工への形態変化。 それは人間を語るためのキーワードの一つであり、そしてその行為は空間・場所を新たに生み出していくことだと私は考えています。私の作品のテーマは、つまり人間を取り巻く世界とそことの関係を「切る」という行為性を通して探っていくことにあります』。白と黒の紙をカッターナイフで裁断し、それぞれをアッサンブラージュしていく作品を「切る=空間の創造」と形容することができます。紙を切り、まっさらな地平である白紙に図絵を構築していく作業は、ゼロから存在(=イメージ)を生み出すと同時に余白を活かし、それが所在する空間をつくり上げていく行為です。空間に浮かび上がる人物と鑑賞者の対峙によって生まれる、“知覚実験”的な作品をお楽しみください。
お問い合わせはS&Tまで。
それでは皆さん本日も良い1日を。