こんにちは、S&Tの上村です。昨日はミナミハラアートウォークのミーティングにオンラインで参加しました。慣れないミーティングアプリで参加したので今一つ使い勝手がわからず、ただ聞いているだけの参加になっちゃいました。😅

やっぱりミーティングはあーでもないこーでもないと意見を言い合いながらやるのが面白いのですが、聞いているだけではつまらないですね。現地に行ければ良いのですがそれも難しいし、中々もどかしい思いをしました。

運転できなくなって初めて不便だなと思っちゃいました。1年も経って今更ですが(笑)

3分の1くらいしか聞き取れませんでしたが、中々活発に意見飛び交っていたようです。色々課題はあるものの、私は与えられた役割を全うするのみです。

今年のミナミハラアートウォークは辺藝の期間中の参加です。その9日間は南原に参加することになるので辺藝は展示のみになる予定ですが、ちょっとしたコラボですね。1日で両方回ってもよし、何日かに分けてアート三昧を楽しむのもよし。いずれにしろ芸術の秋を堪能できそうです。😆

朝は先日から話題になっている贋作問題の話題にTBSが贋作者のベルトラッキ氏に直撃インタビューしていました。TBS中々やるなと思って見ていましたが、中々面白かったです。

ただ残念だったのが時間の制限があったからなのか本質を理解してないからなのか、最終的にベルトラッキ氏には罪の意識はあまりないようだという風にまとめていたこと。

ベルトラッキ氏も『刑務所にも入ったし、罰金も払った。スイスにも移住したのでもういいだろ?』と言っていますが、彼はきちんと社会的制裁を受けているわけです。

それよりもおよそ3,000万ユーロ稼いだと言っていますが、これって1人の贋作者がやれる犯罪だと思う方が不自然ですよね。

ベルトラッキ氏は『大手の画商もアーティストもクソだ!』と感情を込めて言い放っていました。(笑)

そこには美術界の深〜い闇が見え隠れしますよね。

もうちょっと深く掘り下げたインタビューが聞きたいなと久々に思いました。(笑)

というわけで本日の1品です。

Waiting,  1997 / May Stevens 
Lithograph
43.2 x 55.9 cm
Edition of 25

S&Tでもこれまで何枚か入荷していつもすぐなくなっちゃうメイ・スティーブンスの版画作品です。この言葉の海シリーズはどれも実に素晴らしい。実物を見ないと決してその良さはわかりません。

ご覧になった人は皆さんすぐにその魅力に取り憑かれちゃいます。だからすぐになくなっちゃうんでしょうね。(笑)

May Stevensはマサチューセッツ州ドーチェスターで生まれ、ボストン近郊のマサチューセッツ州クインシーで労働者階級の家族に育てられました。結果的に彼女の作品は、彼女の社会に対する見方、彼女が彼女の周りで目撃した女性の貧困と機会の欠如の影響を受けました。ボストンとニューヨーク市で美術を学んだ後、彼女は1948年に仲間のアーティスト活動家ルドルフ・バラニクと結婚しました。

スティーブンスは最初から、芸術は個人的な表現だけでなく、社会的解説に使用されなければならないと信じていました。彼女の芸術は通常、政治活動家としての彼女の個人的な経験に関連しています。

彼女は公民権運動に従事し、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがカタログの紹介を書いたフリーダムライダーと呼ばれる1964年の展覧会につながりました。1967年から1976年までのスティーブンスのビッグダディシリーズは、ベトナム戦争に対する怒りの反応として作られました。これらの大きなポップアートスタイルの絵画は、彼女の最も有名な絵画の1つです。

フェミニスト芸術運動に触発されたスティーブンスは、女性アーティストの人生を個人やグループのポートレイトで称え、それを「オルタナティブ」な美術史とみなしています。彼女はまた、1977年から92年まで出版された雑誌「Heresies: A Feminist Publication on Art and Politics」の設立を支援しました。

1981年のスティーブンスの息子の死は、彼女の作品の方向性を変えました。彼女の後の絵画は、痛烈な感覚が染み込んだ風景でした。

彼女はゲリラ・ガールズの元祖であり、重要なフェミニスト出版物『Heresies』の創設メンバーでもあります。彼女の作品は、MoMA、ホイットニー、ブルックリン美術館、ハーバード美術館、ダートマス大学フッド美術館などに収蔵されています。 (1924–2019)

もちろんS&Tでお取り扱い可能です。現在は手元にはありませんが…😅

気になる方は遠慮なくお問い合わせ下さいね。

それでは皆さん本日も良い1日を。