こんにちは、S&Tの上村です。ここのところ韓国のドラマをよく見ますがまぁ面白い。😆
ストーリーや展開もはちゃめちゃですが、その中にちょいちょい韓国の社会問題などがぶち込まれてきます。ドラマではありますが現在の韓国社会の闇みたいなものが垣間見えるから面白いんでしょうね。薄っぺらな日本のドラマがつまらないはずです。あくまで私見です。😅
さて、フリーズ・ロサンゼルスが開催決定しましたね。大火災でかなりギリギリまで悩んだと思われます。
主催者はこんな風に述べています。
『フリーズ・ロサンゼルスは常に、創造性や人と人とのつながり、困難を乗り越える力を与える場として重要な役割を果たしてきました……(今回は)地域社会が緊急事態にある中で、地域社会とともに立ち上がるべき時です』
来場者に支障がないような環境づくり、特に宿泊施設などの確保が大変そうですね。😅
また、フリーズでは山火事で被災したアーティストやアート関係者への資金援助をしています。素晴らしい。
フリーズは『フリーズ・ロサンゼルスに来ていただくことは、復興支援を前進させ、この街の並外れた文化コミュニティの回復を支える力となるでしょう』と述べています。
こういう世界的なイベントを開催すればかなり大々的な発信になるんじゃないでしょうか?
賛否両論あるとは思いますがやはりこういう時にできることをやるということは素晴らしいことだと思います。
それにしても本当にこの山火事は見ていて辛いですね。昨年私の地域でもありましたし、全く他人事ではありません。
個人的に応援したいなと思います。皆さんもぜひ応援して下さいね。
というわけで本日の1品です。
この巨大な肖像は一体何なんだと圧倒されますね。S&Tでもお馴染みのFranz Gertschの木版画です。木版画ということでも驚かされますが、いつ見ても素晴らしいですね。実物を見ないとそれは伝わりませんが。😅
巨大作品で有名なゲルチュですが、そのアトリエは驚くほど小さなアトリエだったそうです。そしてそのアトリエは常に整然と整理されていました。
2022年12月21日に亡くなりましたが死の直前まで制作をしていたということです。本物の芸術家ですね。
ゲルチュの父は歌手でした。その影響で幼い頃にピアノを弾き始め、音楽家を志していました。画家では食べていけないと恐れていたようです。しかし、結局彼は芸術の道を選びました。ゲルチュは絵画とピアノ演奏の間に明確な類似点があると考えていました。目に見える自然は、「ピアノ奏者にとっての音符」のように画家が解釈しなければならないものでした。
彼が最初に成功を収めたのはポップアート的な絵でした。しかし、すぐにそれは自分には合わないスタイルだと気がつき、もっと躍動感のある絵を描きたいと考えていました。そして写真をもとに徹底的に写実的に描く「ハイパーリアリズム」を採り入れ、日常的でありきたりな場面の人々を描く大型作品を制作するようになります。
1970年代半ば、ベルン州シュヴァルツェンブルガー地方のリューシェックにある古い農家に引っ越しました。
そこで転機が訪れます。自然の成長やあるがままの姿が持つ神秘性に、彼は魅了されました。そこでの生活で『この自然が持つ多様性はいかにして成立するのか?』『この構造、この動きを成立させるほどの創造力を持っているのは誰なのか?』と彼は思います。そして、そこの自然はゲルチュにとって大きな存在感を放ち、晩年の作品で中心的な役割を占めるようになりました。
そこでの生活で彼の身の回りにあった自然は彼によって永遠の命を吹き込まれました。彼の作品には日々の散歩で発見した身の周りの植物や森の産物など多く描かれています。彼はのちにこう言っています。『美術館への来場者は作品の前で自分が散歩した時のことを思い出すでしょう。』と。
生命の表現としての自然を視覚的、精神的に体験することは作品のテーマでもありました。彼はただの葉っぱや流れる川の水面と同様に、人間の顔にも関心を持っていました。それは自然の本質であり、彼が作品の中に捕えようとしていたものでした。
【Franz Gertsch】1930年スイス生まれ。巨大な肖像画や風景画で知られるハイパーリアリストの現代アーティストです。彼は木版画と絵画の両方を制作しますが、撮影された被写体の生命の明るさを捉えようとして、ラピスラズリ、アズライト、マラカイトなどの顔料を使用し、必要に応じて元の画像から逸脱します。彼は自分の制作について「私が写真のオリジナルに集中すればするほど、私はそれから離れていきます」と言っています。
彼の作品は、1972年のドクメンタ5や1999年のヴェネツィアビエンナーレなど、いくつかの著名な展覧会に出品されています。
ご興味ある方は遠慮なくお問い合わせ下さいね。良いですよ👍
それでは皆さん本日も良い1日を。