こんにちは、S&Tの上村です。昨日ようやく別の病院に変えました。私が倒れてからおよそ10ヶ月。昨日別のところに行ってびっくり!
これまでは病院に行っても特に変化もなく毎回同じことの繰り返しでしたが、昨日行くとかなり細かい部分まで診察していただけました。
めまいはしているものの何だかかなり微妙な私の症状だという事がわかりました。かなり珍しいそうです。😅
結局、原因はわからないままですがこれまでと違って治そうと色々試してくれているのがわかります。やった事がない検査もやって頂きもっと早く病院変えればよかったと思いました。
治る治らないに関わらずやっぱりこういうお医者さんに診てもらいたいですよね。ちょっと希望が見えた昨日でした。
帰り道、どんな仕事も信頼が一番大切だなぁとぼんやり考えていました。私も大切にしようっとと改めて思ったそんな日でした。
さて、まもなく今年のアートバゼルが開催されますね。今年もたくさんのご案内が届いております。各ギャラリーかなり良いものが出ているように感じます。
ここのところの不景気はみなさんご存知の通りですが、アート作品については悪いことばかりではありません。なぜって不景気の時ほど良い作品が市場に出てくる事が多いからです。
どういう事?と気になる方もいるかもしれませんね。
ま、あんまり大きな声では言えないので詳細はS&Tへ来た時にでもお話ししますかね。(笑)
一体今年はどんなセールスの結果になるのか楽しみです。
もう一つ話題が。つい先日メガギャラリーの一つペースギャラリーが高松次郎の取り扱いを発表しましたね。ほんとここはMatthew Day Jacksonといい私の好きなアーティストばかり持っていきます。😅
ペースギャラリーで扱われることになるとちょっと私は嫌なんですよね〜。
そういうことを言うと怒られますが、メガギャラリーの中でも何だか日本的といいますかそんな傾向の強いギャラリーです。私にとっては作品が探しづらくなっちゃうんですよね。なぜってペースは私みたいなところとはお付き合いしないからです。
私が弱小だからいけないのかもしれませんが…。
向こうは当然私のことなんて知らないと思いますが勝手にライバル視しています。(笑)
ま、弱小なりにまだ誰も見ぬ才能を発掘できればいいなと思っています。最終的にはメガギャラリーに持ってかれそうですが。😅
結局のところそんなところも『信頼』が一番大切なんですよね。
というわけで本日の1品です。
May Stevensはマサチューセッツ州ドーチェスターで生まれ、ボストン近郊のマサチューセッツ州クインシーで労働者階級の家族に育てられました。結果的に彼女の作品は、彼女の社会に対する見方、彼女が彼女の周りで目撃した女性の貧困と機会の欠如の影響を受けました。ボストンとニューヨーク市で美術を学んだ後、彼女は1948年に仲間のアーティスト活動家ルドルフ・バラニクと結婚しました。
スティーブンスは最初から、芸術は個人的な表現だけでなく、社会的解説に使用されなければならないと信じていました。彼女の芸術は通常、政治活動家としての彼女の個人的な経験に関連しています。
彼女は公民権運動に従事し、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがカタログの紹介を書いたフリーダムライダーと呼ばれる1964年の展覧会につながりました。1967年から1976年までのスティーブンスのビッグダディシリーズは、ベトナム戦争に対する怒りの反応として作られました。これらの大きなポップアートスタイルの絵画は、彼女の最も有名な絵画の1つです。
フェミニスト芸術運動に触発されたスティーブンスは、女性アーティストの人生を個人やグループのポートレイトで称え、それを「オルタナティブ」な美術史とみなしています。彼女はまた、1977年から92年まで出版された雑誌「Heresies: A Feminist Publication on Art and Politics」の設立を支援しました。
1981年のスティーブンスの息子の死は、彼女の作品の方向性を変えました。彼女の後の絵画は、痛烈な感覚が染み込んだ風景でした。
彼女はゲリラ・ガールズの元祖であり、重要なフェミニスト出版物『Heresies』の創設メンバーでもあります。彼女の作品は、MoMA、ホイットニー、ブルックリン美術館、ハーバード美術館、ダートマス大学フッド美術館などに収蔵されています。 (1924–2019)
S&Tではもうお馴染みですね。ファンもだいぶ増えたかと思います。彼女の作品と一緒にゲリラガールズの作品を飾ってお酒でも飲んだら最高ですね。😆
もちろんお問い合わせはS&Tまで。
それではみなさん本日も良い1日を。