こんにちはS&Tの上村です。お天気わけがわかりませんね。暖かかったと思えば急に大荒れになるし。今日は東北も雪の予報。外は風がすごい。どのくらい雪が積もるかなぁ。やだな…😢

皆さんのところはどんな感じですか?

いよいよ今年も残すところあとわずか。ラストスパートがんばります。と言いながらお休みはないんですが。S&Tは皆さんがお休みの時に繁忙期なので。😅

ありがたいことに山形に里帰りの度にご来店いただける方も多いんです。

里帰りが楽しくなったと言っていただけると私も嬉しくなっちゃって思わずいつもより余計にサービスしちゃいます。(笑)

皆さんも年末年始も遠慮なくご連絡くださいね。スケジュール空いていればいつでもご覧頂けますよ。

さてさて、海外はそろそろビッグイベントも終わり、もう来年に向けて動き出している様子。お休みに入る準備も着々としているようです。頼んでいた作品も来年に配送しますと呑気な連絡も入り、まだ間に合うだろうと思いながらも仕方ないなと諦めています。だってお休みに入るの楽しみそうに話されるとね。(笑)

年末年始は色々遅れてご迷惑おかけするかもしれませんがその辺も多めにみて下さいね。

というわけで本日の1品です。

A Life, 1984 / May Stevens
acrylic on canvas

May Stevensはマサチューセッツ州ドーチェスターで生まれ、ボストン近郊のマサチューセッツ州クインシーで労働者階級の家族に育てられました。結果的に彼女の作品は、彼女の社会に対する見方、彼女が彼女の周りで目撃した女性の貧困と機会の欠如の影響を受けました。ボストンとニューヨーク市で美術を学んだ後、彼女は1948年に仲間のアーティスト活動家ルドルフ・バラニクと結婚しました。

スティーブンスは最初から、芸術は個人的な表現だけでなく、社会的解説に使用されなければならないと信じていました。彼女の芸術は通常、政治活動家としての彼女の個人的な経験に関連しています。

彼女は公民権運動に従事し、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがカタログの紹介を書いたフリーダムライダーと呼ばれる1964年の展覧会につながりました。1967年から1976年までのスティーブンスのビッグダディシリーズは、ベトナム戦争に対する怒りの反応として作られました。これらの大きなポップアートスタイルの絵画は、彼女の最も有名な絵画の1つです。

フェミニスト芸術運動に触発されたスティーブンスは、女性アーティストの人生を個人やグループのポートレイトで称え、それを「オルタナティブ」な美術史とみなしている。。彼女はまた、1977年から92年まで出版された雑誌「Heresies: A Feminist Publication on Art and Politics」の設立を支援しました。

1981年のスティーブンスの息子の死は、彼女の作品の方向性を変えました。彼女の後の絵画は、痛烈な感覚が染み込んだ風景でした。

彼女はゲリラ・ガールの元祖であり、重要なフェミニスト出版物『Heresies』の創設メンバーでもあります。彼女の作品は、MoMA、ホイットニー、ブルックリン美術館、ハーバード美術館、ダートマス大学フッド美術館などに収蔵されています。 (1924–2019)

彼女の作品を初めてみた時なんてかっこいい作品を作るんだと思ったのを覚えています。

彼女の言葉の海シリーズの版画が1点今回のシークレットセールにも出品されていますがこれも非常に美しい作品なんですよ。

ぜひご覧くださいね。

お問い合わせはS&Tまで。

それでは皆さん本日も良い1日を。