こんにちは。S&Tの上村です。ここのところ協調性という言葉を履き違えている人が意外に多くいるんだなぁと考えることが多くあります。

私に協調性は1ミリもないので何言ってんだという方も多いかもしれません。(笑)

しかし、何かを一緒に作り上げる時に日本人は一つの意見に対して自分の意見を言わず飲み込んでやり過ごしている人がもしかしたら多いのかもと思う場面が多々あります。

果たしてそれは協調性なのでしょうか?それとも主体性の欠如なのでしょうか?

私は協調性という言葉のもとに仲良くやり遂げましたみたいな感じはあまり好きではありません。我慢が美徳という時代でもないと思うのですが。😅

だって色々な人がいて色々な意見があるのは当然のことじゃないですか。それをしっかりと伝え合ってより良いものを作り上げるから真に素晴らしいものが出来上がるんだと私は思います。

じゃないと共に作り上げる意味が分かりませんよね。(あくまで私見です。)

皆さんはどう思いますか?

様々な仕事に共通の話だと思いますがアートではこれは致命的といえるほど顕著なことだと思います。素晴らしいものを生み出すか、それとも何の主張もない駄作を作り上げるかはそこにかかっていると言っても過言ではないでしょう。

ま、そんなことを言っても昨日のブログみたいな話があるとアーティストはもしかしたらやる気を削がれるのかもしれませんが。💦

それでも良いものは後世に語り継がれるだろうし、やる意味は必ずあると私は思います。

何だか真面目な話をしちゃいましたが私の備忘録として書いてみました。

皆さんも仕事をする上でそんなこと考えることはありませんか?

それでは皆さん本日も良い1日を。